2017/06/30
みなさんはトラバント(愛称:トラビ)という車をご存知でしょうか。 旧東ドイツで作られていた小型乗用車で、名称はドイツ語で「衛星」「仲間」「随伴者」などを意味する語です。 かつてドイツが東西に分かれていたとき、トラバントは東ドイツ国民の足でした。 なんと1957年から1991年までの長期間、外見や機能など大きなモデルチェンジがなく生産され続けました。 東ドイツの政治体制のもとでは競合する自動車がなく、一度完成した設計をあえて変更する必要はなかったようです。
さて、このトラバント、小型で可愛らしい形をしていますが、ボディがなんと綿の繊維を使った繊維強化プラスチックでできています。 資材不足がその理由だったそうですが、当時プラスチックボディの大量生産車は世界初の試みであり、実は最新技術の乗り物であったといいます。 しかし東ドイツの経済が悪化した時期には、コストを下げるために紙パルプが混入されていたというので驚きですね。
当時の東ドイツ国民にとって自動車は贅沢品でなかなか入手が難しく、トラバントも注文から納車まで10年以上かかったそうです。 ドイツのドキュメント番組では70年代の初めには最高17年かかったことが報道されています。 そのため「買う予定はないがとりあえず注文をする」ということも普通に行なわれており、それが実需以上に注文数を膨張させることとなっていました。 注文してから実際に購入するまでの期間があまりに長いために、すぐ手に入る中古車の方が新車よりも高値で取引されていたようです。 新車は現金で購入するのが原則だったため、トラビのための貯蓄も必要でした。
最も多く生産されたトラバント601のスペックは、排気量594cc、最大出力23HP/3,800rpm、最大トルク5.5kgm/3,000rpmで、1970年代の日本の軽自動車にやや劣る程度の内容です。 ボディが鉄ではない事もあってか、公称最高速度は95~105Km/hとなかなか出たようです。 しかし、真っ黒な排気ガスをたんまりと出す2サイクルエンジン、スピードを出すまでに時間がかかること、エンジンと燃料タンクが近接しており、正面衝突時やエンジンの異常過熱時に発火するおそれがあったこと、フロントライトの上下切り換えスイッチがライトの下にあり、いちいち降車しないと切り換えられないこと、燃料計が付いておらず、エンジンオイルのように給油口から棒を入れて残量を確認したり、燃料を入れた際のトリップメーターの数値を覚えて、次回給油時期を推測する必要があったなど、いろいろと驚くべきものだったようです。
東西ドイツ統一後、旧東ドイツでも性能の良い西側諸国の車が手に入るようになり、多くのトラビが廃車となりました。 そんな中、「旧東独時代も悪いことばかりではなかった」という郷愁の念、「オスタルギー」が生まれ始めます。 (オスタルギー=ドイツ語で「東」をあらわす「オスト(Ost)」と「郷愁」をあらわす「ノスタルギー(Nostalgie)」の合成語) 故障が多く手のかかる自動車でも、旧東ドイツ国民にとっては、トラビは贅沢品であり、旧東独時代に所有できた唯一の自動車、大切な想い出が込められたマイカーでした。 トラビはまさしく「オスタルギー」の代表的アイコンだったのです。
そんなトラビの現在はというと、2016年時点で約3万3千台のトラバントが、歴史文化財としての特別走行許可証(Hナンバー)を取得しているそうです。 トラビ発祥の地、ザクセン州ツヴィッカウでは毎年2万人もの人々が集まるファンミーティングが開催されています。 トラビを実際に体験してみたいという人には、ドイツのドレスデンやベルリンで、トラバントに乗るツアーがあります。 物を大切にするドイツ人らしく、しっかりメンテナンスされていますので安全上の問題はありません。 またDDR(東ドイツ)ミュージアムやトラビミュージアムで見学することもできます。 「Alte Liebe rostet nicht. (古くからの愛は錆びない。)」と言われるほど、トラビはいつまでもドイツ国民に愛され続けるクルマなのです。
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