2017/01/27
かつての航空機メーカー「日本飛行機」は、太平洋戦争の終了と共に業務を失ったため、「岡村製作所」を創業し、金属加工技術を活かしたスチール家具の製造を行っていました。 その後、1949年には日本で最初にトルクコンバーターの開発をして、1957年から1960年にかけてトルクコンバーターを搭載した前輪駆動自動車「ミカサ」を生産しました。 「ミカサ 」は日本で初めて自動変速機を搭載した車(=AT車)で、MT車しかなかった当時としては非常に画期的な自動車でした。 しかし、その頃の主要取引銀行であった三菱銀行はホンダとの取引を優先し、岡村製作所にはオフィス家具に専念するよう勧めたことと、岡村製作所は自動車の販売力も弱かったこともあり、500台程度だけの販売で自動車製造業から手を引くことになります。 しかしその後オフィス用の家具などに力を入れ、オフィス家具の売上高は世界4位にまで成長します。
1947年に「日造木工株式会社」が日産自動車の指定工場となり、「東京瓦斯電気工業」と合併し、日産自動車の社長だった「山本惣治」が新たな社長となり、社名を変更することで「富士自動車」が出来ました。 「スバル」として有名な富士重工業株式会社と社名が似ていますが全く関係ありません。 元々「日造木工」では輸入自動車の木製車体を作っていましたが、元日産の社長「山本惣治」は自動車生産の強い意思があり、「フジキャビン」を発表、生産します。 「フジキャビン」は当時の最新素材である繊維強化プラスチックを日本で初めて自動車の素材に使ったということで画期的でしたが、新素材は量産に向かず、未舗装路が多かった当時の道路では走行中の振動により繊維強化プラスチックの車体にクラックが多発し、クレーム対応にも多くのコストを割くことになります。他にも乗り心地・操縦性・換気姓など様々な部分に欠陥があったため、生産台数85台のみで製造を終了することになります。 その後「ガスデンミニバン」を発表するものの、こちらもエンジンなどに欠陥が多く、「ガスデンミニバン」の販売は実現しないまま、自動車製造業からは撤退することになります。 現在では、建機メーカーで国内シェア1位のコマツの完全子会社となっています。
航空機メーカー「立川飛行機」は第二次世界大戦後に航空機製造を禁止されたため、1947年に「東京電気自動車」という会社名で再スタートします。当初は電気自動車の製造をしていましたが、1951年にガソリン車の製造に切り替えています。 「東京電気自動車」からは「たま電気自動車」「たま自動車」など会社名が変遷しますが、1952年に皇太子明仁親王が立太子礼を行うことを記念して、初のガソリン車に「プリンス」という車種名を付け、同年には会社名もそれに合わせて「プリンス自動車工業」に変更することになります。 その後の会社名は「プリンス自動車工業」のままですが、1966年に日産自動車に吸収合併されることになります。 プリンス自動車工業が生産した「スカイライン」「グロリア」「ホーマー」「ホーミー」「マイラー」「クリッパー」などのブランドは日産自動車に引き継がれ、特に「スカイライン」のブランドは今なお使われ続けています。
「ホープ商会」は1952年に株式会社となり、三輪トラック「ホープスター」を販売します。 「ホープスター」は軽快な操縦性ながら耐久性に優れたオート三輪で、非常に高い実用性と完成度を誇り、軽オート三輪の市場を開拓することになりました。 その後1954年に「ホープ自動車」に社名変更しますが、「ホープスター」の成功を見たダイハツなどの大手メーカーが軽オート三輪の生産・販売に本格的に力をいれることとなり、販売力などに劣る零細メーカーだったホープは市場を奪われてしまいます。 その後1960年には軽四輪トラック市場も開拓しますが、「ホープ」は自動車のエンジンを自社生産できるほど大きな会社ではなかったため、他社が生産するエンジンを使用していました。 軽四輪のエンジンとして選んだのは富士自動車製のエンジンでしたが、これは強度に欠陥を抱えていたため、「ホープ」はクレーム対応に追われることになり、経営に悪影響を及ぼしてしまいます。 そして、「スズキ・ジムニー」の原型となる軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」を最後に「ホープ自動車」は自動車製造業を撤退します。 自動車製造業を撤退後は「ホープ」に社名を戻し、現在までアミューズメント施設向けの遊具を製造しています。
農機メーカーの大手である「ヤンマー」も過去には自動車を製造していた時期がありました。 1958年に、ディーゼルエンジンを搭載したキャブオーバー型軽トラック「KT型」を発表し、その2年後にディーゼルエンジンを搭載したキャブオーバー型軽トラック「ポニー(KTY型)」を開発・販売しました。 ディーゼル軽自動車という珍しい自動車ではありましたが、低排気量ディーゼルエンジンでは最高出力が非常に低いため坂道をスイスイと登ることもできず、同排気量のガソリンエンジンの方が実用性があったため、市場に受け入れられず、わずか2年で撤退します。
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