2017/01/20
「アルファ・ロメオ」の名前の由来は、「ロンバルダ自動車製造株式会社」の略称A.L.F.A.と、実業家「ニコラ・ロメオ」の名前を組み合わせたものです。 「ロンバルダ自動車製造株式会社(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili = A.L.F.A.)」が、1910年に経営難だった工場の「ダラック・イタリアーナ」を買収したのが始まりで、当初はエンブレムに刻印されていたのは「アルファ・ミラノ(ALFA MILANO)」というブランド名でした。 A.L.F.A.は「24HP」「30HP」「40-60HP」などの高性能な車を生産し、スポーツカーメーカーとして成長していきます。 1918年にニコラ・ロメオの会社「ニコラ・ロメオ技師有限会社」と吸収合併して、会社名は「ニコラ・ロメオ技師株式会社」となります。 そして1920年に旧ブランドの「A.L.F.A.」と、新社名の「ロメオ」を組み合わせた「Alfa Romeo 20/30 E.Sport」を作り、新ブランド名「アルファ・ロメオ(ALFA-ROMEO)」が誕生しました。
フィアット(FIAT)は「Fabbrica Italiana Automobili Torino」の頭文字を取ったもので、「トリノのイタリア自動車製造所」という意味になります。 1899年の創業当時は「Fabbrica Italiana Automobili Torino」としていましたが、1906年に正式に「FIAT」になりました。 自動車製造のみならず、航空機・鉄道車両・船舶などイタリアの産業分野全般を掌握しており、金融や出版業界にも進出しています。 イタリアであまりにも大きな影響力を持つため、「フランスはルノーを持っているが、フィアットはイタリアを持っている」と言われていたこともあります。 「アルファ・ロメオ」「マセラティ」「ランチア」など多くのイタリア自動車メーカーを傘下に持ち、かつては「フェラーリ」もフィアット傘下にありました。
かつてアルファ・ロメオのレーシングドライバーだった「エンツォ・フェラーリ」が1929年に「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」を作ったのが始まりです。最初は自動車メーカーではなく、モータースポーツ愛好家をサポートするディーラーチームでした。 その後、第二次世界大戦でレース活動が禁止された際にエンツォ・フェラーリは工作機会製造の経営者となり、戦争終結後に本格的に自社のレーシングカーの開発をするようになり、1947年には会社名を「フェラーリ」として、同年にレーシングカー「125S」を作り上げました。
創業者「エットーレ・ブガッティ」が社名の由来です。 1909年に自動車会社を設立し、高級車・スポーツカーを設計し、知名度をあげていきます。 イタリアからフランスのアルザス地方(当時はドイツ領)に移設し、モナコ・グランプリでの3年連続(第1回~第3回)優勝や、ダルガ・フローリオ(過去にイタリアで開催されていた公道自動車レース)で優勝など、優秀な成績を残します。 ブガッティは気動車や飛行機の設計にも手を出しますが、軌道に乗らず、第二次世界大戦で工場が破壊されてしまいます。 その後、いくつかの企業との吸収合併を経て、現在は「メッサー・ブガッティ」としてフランスのサフラングループ傘下で飛行機の部品を製造しています。 飛行機の製造会社となった源流のブガッティとは別の流れで、1987年にイタリアの実業家「ロマーノ・アルティオーリ」がブガッティの商標を手に入れて、「ブガッティ・アウトモビリ」を設立し、ブガッティブランドの自動車を復活させます。「ブガッティ・アウトモビリ」も経営破綻しますが、後にフォルクスワーゲンがブガッティの商標を買い取り、フランスのアルザスを本社として「ブガッティ・オトモビル」を設立し、現在に至ります。
「アルフィエーリ・マセラティ」と、兄弟の「エットレ」「エルネスト」の3名が、スポーツカーメーカーとして1919年に「マセラティ」を創業しました。 シトロエン・プジョーなど様々な企業の傘下になった後、現在はフィアットの傘下にあります。 マセラティのエンブレムは、マセラティを創業した土地であるボローニャのシンボル「ネプチューンの噴水」にちなみ、ネプチューンが持つ三又の槍「トライデント」をモチーフとしています。また、三叉の槍にはマセラティ三兄弟の結束という意味も込めているそうです。
「ランチア」は創業者「ヴィンチェンツォ・ランチア」から命名されました。 ヴィンチェンツォはフィアットの契約ドライバーとして活躍した後、自ら自動車を作りたいという要望を叶えるため、1906年に自動車メーカーとして「ランチア」を創業します。 現在は一般的なモノコックボディを採用した世界初の車はランチアの「ラムダ」でした。ラムダが販売されてから、欧米を中心にモノコックボディは徐々に増えていきます。 しかし採算度外視で技術の開発を重視した経営スタイルだったランチアは経営難に陥り、倒産などを経て最終的にはフィアット傘下に収まることになりました。 現在ではランチアはイタリア専売のブランドとして「イプシロン」のみが販売されています。
創業者「フェルッチオ・ランボルギーニ」が社名の由来です。 フェルッチオは第二次世界大戦中に兵器メンテナンスをしていた技術者で、その経験を活かし戦後に軍用トラックを一般向けに改造して販売することで成功を収めます。 そしてトラックに引き続き、トラクターの自社開発にも取り組んで1949年に「ランボルギーニ・トラットリーチ SpA」を設立し、1960年にはボイラー・エアコンを製造する「ランボルギーニ・ブルチアトーリ SpA」も設立しました。 トラクター等の製造販売によって富豪になったフェルッチオはスーパーカーを収集するようになります。 しかし、車内の快適性やスピード等の性能においてフェルッチオは満足できるものは現れませんでした。 そしてイタリアの超有名高級車ブランドであるフェラーリを購入した後、クラッチの故障で何度も悩まされることになり、自社の工場で修理したところ、フェラーリのクラッチに使われていたパーツは自社のトラクター用パーツと全く同じものが使われており、フェラーリはそのパーツにトラクター用の10倍の値段をつけていたことがわかり、フェルッチオは驚愕しました。 そのことがきっかけになり、ついには自社でスーパーカーを製造・販売することを決意します。 そうして設立されたのが「ランボルギーニ(正式名称:ヌオーヴァ・アウトモービリ・フェルッチオ・ランボルギーニ SpA)」です。 その後、クライスラーなどを経て、アウディ傘下(フォルクスワーゲン傘下)となります。
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